原作西尾維新先生の『物語シリーズ』には名言がいっぱいでてきますよね。この記事では「ウソ偽り」というトピックだけでなく、「人を好きになる」ことのあたたかさ、といった部分に切り込んだ、鬼物語の名言をまとめました。
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① 誤解を解く努力をしないというのは、ウソをつくのと一緒
「周りの人間が彼女を神だと誤解しただけだ、って言いたいんだろ。だけどね、誤解を解く努力をしないというのはウソを付いているというのと同じなんだよ」
「世の中にはいいウソと悪いウソがある、それは認める。私はよく知っている、だけどね、こよみん。許されるウソなんてものはないんだよ」
出典元:鬼物語 臥煙伊豆湖
「そんなつもりはなく」ても、「誤解されているだけ」でも、本人がそれを見ないフリをして「誤解を解く努力をしない」というのは結局ウソをついていると一緒だ、という臥煙さんの言葉には唸るものがあります。人と丁寧にコミュニケーションをとることは体力気力がいるものですが、それがいちばん大切だったりするんですよね。
② いつだって泣きそうになりながら、戦ってきたんだ
「ー確かに僕はそんな風にやってきたように見えるかもしれないけど、それが平気だったことなんて一度もないぞ。いつだって泣きそうになりながら、つーか泣きながら戦ってきた」
「どうしてお前は、そんななんの不安も、なんの不満もなさそうに」
出典元:鬼物語 阿良々木暦
本当に何かを守りたいとき、踏ん張らないといけないとき、真剣なときほどひとって弱音を吐けないものなんですよね。気を張っていないと、負けてしまうような気がするから、精一杯強がるわけだけど、実は心の中で叫んでいたりするもの。阿良々木くんがどれだけ人と真剣に関わってくるかが痛いほど伝わってくる言葉ですね。
④ 不安がないといえばウソになりますけど、不満はありません
「不安がないといえばウソになりますけど、なんの不満もありませんよ」
「たのしかったですし」
出典元:鬼物語 阿良々木暦 / 八九寺真宵
心にぽっかりと空いていた穴、寂しさを充分に埋め合わせてくれたことに、感謝の気持ちを述べる真宵ちゃん。「たのしかった」という思い出は、人が思うよりずっとあたたかく、先を照らしてくれる想いだったりします。不安はあるかもしれないけど、不満はない、そんな生き方ができたら素敵ですね。
④ いなくなりますけど、いなかったことになるわけじゃありません
「ああ、消えるって言い方がよくなかったですね。私は帰るんですよ、阿良々木さん」
「いなくなりますけど、いなかったことになるわけじゃありません」
出典元:鬼物語 八九寺真宵
転勤、転校、寿命、生きている限り「別れ」を経験しない人はいないでしょう。確かに目の前からはいなくなるかもしれない、寂しいかもしれないけど、さみしくない、一緒に紡いできた「時間や思い出」はたしかに胸の中にあって、それが消えることはけしてないのです。
⑤ 大嫌いで始まり、大好きで終わる
「いつまでも続くとは思っていませんでしたし、いつかは終わることですし、思いの外唐突でしたけど、まあ、こんなものでしょう。ーウソにしても若干自由にやりすぎましたかね、単に阿良々木さんと話すのが楽しくて」
「失礼、噛みました」
「大好きでしたよ、阿良々木さん」
出典元:鬼物語 八九寺真宵
最初は「阿良々木さん、あなたのことは嫌いです」と繰り返していた真宵ちゃん。時が来て、彼の前から姿を消すことになった彼女の最後の言葉がこちらです。大嫌いではじまったのに、大好きで終わるって素敵ですね。「あなたのことが大好き」というほど、心温まるワードはないのではないのかもしれません。
あとがきにかえて
仕事に日々におわれて、大事な何かを見失いそうになったときに「鬼物語」をみたくなります。「人を思う気持ち」がどれだけあたたかいか、とか、「寂しいことも、辛いこと」があっても人は思わぬ方向から救われることがあるとか、とくに最終話にはそういったあたたかいメッセージがいっぱい詰まっているように思うのです。人生も捨てたもんじゃないですね、言葉の力ってすごいです。言葉がいつか誰かの心をまた救うことを信じて。お読みいただきありがとうございました。
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