原作西尾維新先生の『物語シリーズ』には名言がいっぱいでてきますよね。とくに貝木泥舟が関わるシーンでは、自分に思い当たりのある言葉が出てくることも多い。というわけでこの記事では、なんだか心の奥までひびく、貝木泥舟が関わるシーンの名言をまとめました。
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① ひとは、自分の知っているものを真実だと思いたがる
「人は真実を知りたがる。あるいは自分の知っているものを真実だと思いたがる」
「つまり真実が何かは二の次なのだ」
出典元: 恋物語 貝木泥舟
なにが本当で、何がウソなのか。結局ひとは自分が都合のよいように、自分が望む通りに、物事を解釈してしまう生き物なのかもしれません。
② あの子は誰のことも好きじゃないと思います
「相手にされていないのは私の方、ーー誰が何を言ってもその言葉は届かない」
「阿良々木くんのことが好きだって言っているけれど。ーあの子は誰のことも好きじゃないと思います、あの子は誰のことも見ていません」
出典元: 恋物語 羽川翼
優しい人、いい人と呼ばれるひとって、実は目の前の相手に興味がなかったりするようです。
執着がないから、「相手がすること」に対して無頓着、または気にせず平然としていられる、ただそういったひとがいるから、人間関係の均衡が保たれるという事実もあるんですよね。
③ 幸せになることが、人間の生きる目的じゃないからな
「別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃないからな」
「幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃあいいんだし。けどな、なんにしても、生きてりゃそのうちいいことがあるんじゃねえのかよ」
出典元: 恋物語 貝木泥舟
コンビニや書店の棚に「幸せになる方法」といった自己啓発本が並んでいますが、本来の目的って別に「幸せになること」ではないんですよね。
そもそも、ひとによって幸せの感じ方は違うわけですし、そういった周りの意見に振り回されるより「自分がどうなりたいか」にフォーカスをあてる日々のほうが実は幸せだったりするのかもしれません。
④ すべて、自己責任で生きていく
「あいつはあくまで神に頼らない生き方を選んだんだ、願ったんだ」
「色々気を回してやった俺を逆恨みする有様だ。ー成り行きとか、出会い頭とか、誰かのせいとか、なにかのせいとか、そういう心地好さそうなのを全部否定してきた」
出典元: 恋物語 貝木泥舟
誰かのせいにするのは楽ですし、一時的な解決になることもあるでしょう。でもなにかをしたことの「重み」や「想い」というのもひっくるめて背負っていくほうが、人間としては深みが増すのではないでしょうか。
⑤ やりたいことも、したいことも、他にいくらでもあっただろう
「千石、俺は金が好きだ。なぜかといえば、金はすべての代わりになるからだ。物も買える、命も買える、人も買える、心も買える、幸せも買える、夢も買える
ーとても大切なもので、そしてその上で、かけがえのないものではないから好きだ。逆に言うと俺はなあ、かけがえないのないものが嫌いだ」
「阿良々木にフラれたら、お前に価値はなくなるのか。
お前のやりたいことはそれだけだったのか、お前の人生はそれだけだったのか」
出典元: 恋物語 貝木泥舟
誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか、特に若いころというのは、誰かにフラれたことに対して、自分が全否定されたように絶望的な気持ちになることもあるかもしれません。
でもは長い人生のなかの「ほんの一部」であって、自分の価値は変わらないし、その人への想いは途絶えても、もっと広い世界に、この先に希望があることにも変わりないんですね。
⑥ 勿体ないと思うなら、そうなればいいんだよね
「確かになりたくてなったわけじゃないけど」
「せっかく神様になれた幸運を蹴っちゃうのも、もったいないって普通に思うよ」
「でも漫画をかいて神様って呼ばれた人もいたよね、勿体無いと思うならそうなればいいんだよね」
夢を描くことは自由ですし、叶わないだろうと冷ややかな目で見られることもあるかもしれないけど、それはやってみないと本当にわからないんですよね。だれにもわからない、でも一つ確かなのは、叶えられるのは、挑戦するかしないかを決めるのは自分自身だけだということです。
あとがきにかえて
「世の中ってほんっとーにウソばっかり」という千石撫子の言葉には、共感する部分があります。小中高はとくに女子はグループ作りに躍起になりますし、社会になればお局さまはいますしね。
でもそんな女子のゴタゴタや、手痛い失恋を経て思うのは「結局どう生きるかは自分次第」ということです。つい周りの言葉に、流行に流されることもあるんですけど、「自分が何を願うか」は常に心においておきたいものですね。
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