ネットサーフィンをしていたら面白い言葉を見つけた、「働きたくないでござる」という言葉だ。色々調べていくと、語源は戦国時代、豊臣秀吉の元で活躍した石田三成が関係しているらしいと知り、歴史を遡り色々調べてみると面白いことが色々とわかってきたので、今日は「働きたくないでござる」のルーツを、人間味溢れるストーリーや、人情劇を織り交ぜながら紹介したい。
嘘か誠か、どちらにしても面白い
ちなみにアンサイクロペディアによると北斗の拳で有名な漫画家、原哲夫氏作の「SAKON(左近)」などが元となり、光を浴びた言葉らしいが、わたしはまだその漫画は読めていない。(どちらかというと、戦国時代事情のほうが詳しいとおもう)
ちなみにアンサイクロペディアは、Wikipediaのパロディサイトであり、風刺的で怠惰な文書が乗っているサイトと言われている。書かれていることは、フィクションだと言われているので、この記事を信じるかどうかは、読者にお任せしようと思う。
「働きたくないでござる」の解釈が面白い
色々調べていくと「働きたくないでござる」の解釈には2パターンがあることがわかった
① 石田三成が左近を誘うときに、戦略的につかった言葉である
逸材であった左近をどうしても家臣としたかった三成。一方どんな要請も断わり、いまでいうニート状態だった左近。バリバリ働いているだろう三成から、「働きたくないでござる(本当は戦は大嫌いでござるだったともいう)」というのをきき、「ああ、この人ならわかってくれるかもしれない」と感心、三成の下で働くキッカケになったと言われている。
② 激務に疲れ果てた、石田三成の心から出た声
もうひとつは、石田三成は豊臣家の為に働いていたが、あまりにもその激務で疲れ果て、過労死しそうになり自分の苦しみを解ってくれる有能な人物(左近)が欲しかった。「働きたくないでござる」はそんな三成の心の声である、という説だ。(アンサイクロペディア参照なので真意は不明)
発言者が「石田三成」というところが、妙に感慨深い
石田三成は、一般的に神経質で、厳しく、協調性がない人物と捉えられることが多い。
死の直前に語ったとされる名言「命を惜しむは、ひとえに我が志を達せんと思うがゆえなり」は、死ぬことが怖いわけではなく、自分の志を達せずにこの世を去ることが惜しい、という、三成のまっすぐな心が伝わってくる。これは実際に三成がいったのか、ネットで噂になっただけなのかはわからないけれど、そんな真っ直ぐな男がそこまでしても、右近を仲間にしたかった、人の感情がわからない、と称された三成の心温かいエピソード、なんだか妙に心惹かれるじゃないか。
唯一無二の親友、大谷吉継の存在も、三成を支えた
正直な物言いが、人を不愉快にしてしまうこともあった三成。大河ドラマでも、一匹狼やキレ者の嫌なやつとして書かれることが多いが、そこをうまくとりもっていたのが親友、大谷吉継だと言われている。誰にでも、分け隔てなく接する吉継。一方利を使うことに鋭く、参謀者として太閤に重宝された三成、「ひとりではない」という思いがあるからこそ、一匹狼となっても、信念を曲げなかったのかもしれない。
「金のみで人は働くにあらず」、と名言を残したのも吉継
秀吉の没後、三成は徳川家康との戦いを決心する。先見の目があるとされた吉継は、人望、能力を兼ね備えた徳川家康に三成が勝てないことをわかっていたのだろう。しかし敗戦を予測しながらも、息子たちとともに三成の下に馳せ参じたのは、三成の熱い気持ちに動かされたからだといわれている。8月5日付の三成の書状「備えの人数書」によると、この後北国口の兵3万100の大将となった。
働くって「金」より、「熱意や心」がないとできない
ちょっと長くなったが、結局なにがいいたいかって、仕事って「熱意や、ソレに対して打ち込める理由」がないと長続きしないよなということだ。三成や吉継は自分の「使命」がわかっていたからこそ、全力で打ち込み、後世に名が残るまでになったのかもしれない。
自身も働きたくない(寝ていたい)とおもうときはあるけど、かといって仕事を辞めるって選択肢はない。生活の問題もあるけれど、やっぱり一番は「好きだから」だと思う。留学、貿易時代も英語をサブで勉強していたわたしとしては、それをしながら、その力自体でお金が貰えるって有難いことなのだ。もしかしたら、「働きたくないでござる」は、「好きなことだけしたいでござる」に言い換えられるのかも。もし自分がそういった考えを持つ日がきたのならば、自分が打ち込めてお金がもらえる物を探すのもありかもしれない。
あとがきにかえて
ちなみに自身本職は、通訳・翻訳で、本来このブログも英語の記事だらけにしたかったのだが、最近芸術や歴史よりに記事が寄っているのも一種の逃避だ。翻訳って自分の中の全てを、文章を作るために出し尽くすので、相当数やると中身がそれこそカラになる。
インプットが続くと干からびるので、多量の情報を英日で毎日入れ続けるわけだが、そうしていると、段々アニメや遊びにも飽きてきて、自然と歴史や芸術、学問に手が伸びる…元々学問は、遊び飽きた貴族が生み出した「生産的な遊び」とも言われていますので、成長願望は人間の本質に根付いたものなのかもしれない。そういったハマる仕事を探すことで、「働きたくないでござる」現象は激減するのかも、という結びとし、記事を終わりとしたいとおもう。つまりなんだ、好きこそ物の上手なれってことだろうか。
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