幸せじゃない人と、幸せな人の違いは、ないものばかりを追いかけているか。あるものをみて、感謝しているかというシンプルなもの。自分で納得していればそれでもかまわないのですが、「幸せじゃない」といっていても幸せになれるわけではないのですね。「幸せと思っている人」と、「幸せじゃない」人に共通するある特徴を紐解いていきます。
幸せじゃない人の特徴
常にないものねだり
幸せじゃない人は『自分にないものばかり』をみているといった傾向があります。幸せじゃない、不幸せではないけど何か違う、と感じている人は、「ないものを探している」傾向があるのです。それは、
- 自分が理想とする恋人だったり
- 憧れる生活だったり
- 手が届きそうで届かない洋服だったり
- 天職(なはず)と思える仕事だったり
といったものかもしれません。
ただこれは悪いことではなくって、野心だって、何かを欲する気持ちだって自然でとても大切なものです。しかし「幸せな人」と違うのは「あるものを見ていない、ありがたさに気付いていない」こと。
確かにブラックな職場で「それもありがたい」と思うのはなかなか出来ないことです。でも不平不満をつぶやくだけではなく、その中でも自分がもっている、
- 自分の好きなものに没頭できる時間
- 好きな友達と会えることだったり、
- 「帰る場所」であったり、
そういったものは確かにあって、それって当たり前のことではないのですね。
ないもの探しは、虚無感をうむばかり
ないものばかりを見る癖がつくと、「欲しいもの」が手に入ってからも「また次」を求めるようになります。それは手に入った「いまあるもの」の価値を思う時間がやはり少ないから。手に入れた瞬間しばらくは満足しても結局次を求めてしまう、「まだまだこんなもんじゃない」と….
そうなると虹をおいかけるようなもので、「手に入らない、または手に入りにくいもの」を「これがはいれば手に入る」と信じ走り続けるようなものです。「あるもの」や「そのありがたさ、尊さ」に気がつかない限り、虚無感は続いてしまうのです。逆にいうと、幸せ度の高い人ほど自分がもっているものにフォーカスをして、その状態や物に対して感謝している傾向があります。
幸せな人の特徴
逆に『幸せ』を感じやすい人の特徴をみていきましょう。
幸せな人はあるものに感謝をしているだけでなく、「自分で人生の舵」を握っている傾向があります。手の中にあるもの、環境、周りにあるものを大切にしているのです。
例えるのなら「欲しいものを追いかける」のではなく、日々「やってきた幸せを、両手でそっと受け取って大切にする」生き方をしている。将来に不安もあるかもしれないけれど「いま」と、「いまに至るまでに自分を作ってくれている色々なもの」に感謝すると心が自然とあったかくなってきます。よくいう「幸せの感度をあげる」って、「いまここに集中すること」で案外簡単にあがっていくものかもしれません。
「幸せじゃない」と思っている瞬間にも、時間は進んでいく
時間の大切さを感じる、こんな例えがあります。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると いいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週刊誌の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。
だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そしてあなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。
昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。
今日は与えられるものです。
(参考にさせていただいたサイト:86400 Seconds https://coachingtoolbox.net/filingcabinet/86400-seconds.html The Magical Bank metaphor https://contextualscience.org/the_magical_bank_metaphor<https://con>)
まとめ
というわけで幸せじゃない人と、幸せな人の違いは、
- ないものばかりを追いかけているか、
- あるものをみて、感謝しているか
というシンプルなものでした。
自分で納得していればそれでもかまわないのですが、「幸せじゃない」といっていても幸せになれるわけではないのですね。
「苦しい、どうせ出られない」と諦めるではなく、ふてくされるものでもなく「幸せになるため」には、諦めずにあがかないといけない時期もあります。幸せの種は本当にそこら中に転がっていて、それに(自分で)気付けるかどうかが分かれ目となりそうです。
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