「君達はこの先の人生で、強大な社会の流れに邪魔をされて望んだ結果が出せないことが必ずあります。そのとき、社会に対して原因を求めてはいけません。 社会を否定してはいけません。それは率直にいって時間のムダです。
そういう時は「世の中そんなもんだ」と悔しい気持ちをなんとかやり過ごして下さい。やり過ごしたあとで考えるんです。社会の激流が自分を翻弄するならば、その中で自分はどうやって泳いでいくべきかを。
いつも正面から立ち向かわなくていい。
避難しても隠れてもいい。
反則でなければ奇襲してもいい。
常識外れの武器を使ってもいい。やる気を持って焦らず腐らず試行錯誤を繰りかえせば、いつか必ず素晴らしい結果がついてきます」出展:暗殺教室アニメ2期 最終話
社会の本質をついている
さいきんうまくいかないことばかりで、この殺せんせーの言葉をきいて、子供かってくらい大泣きしたわたしです。そう、そうなんですよね。
いくら頑張っても、気を使っても、用意周到にしていても、流れに抗えず、「正しくあるべきこと」ですら、流れてしまうことって社会ではあるんですよね。
どういうことか
夏にアメリカにいって、大陸列車が遅れた理由にわたしびっくりしたんです。だって遅れた理由が貨物列車が通るのを待つためだったんですよ。向こうの貨物列車って全長1kmくらいあって、通過するのに5分くらいかかるんですね。
それを「人が乗っている列車が待つ」わけです。
これ日本に住んでいると、全く理解できない感覚なんですが、向こうは資源が資産であり、最重要品であり、ひとより、貨物の数のが圧倒的に多いんですよね。わたしも現地の人にそれを聞いて納得したんですけど、話さず知らなかったら「なんでだろう」ってイライラしていたかも。
相手のプライオリティを知れば、それほどイライラしない
つまり「ひとによってプライオリティのおき方が違う」ということが、いろいろ繋がっている気がするのです。
たとえば仕事なんかでも、やり方が違って、「何でこうしないんだろう」とか、違う部署へお願いしてもなかなか動いてくれず、「何でやってくれないのかな」とか、思うことありますよね。でも、これって結局、同じひとつの事柄でも、ひとによって受け取り方が違うということなのかなと。
諍いの本質は、大事にしている部分が違うってそれだけ
わたしは貿易をすすめる上で、いつも「どうやったら貨物が止まらないか」を最優先に考えているのです。
国境を越えて物を動かすときは、お互いの国の法律に沿っているか、抜けもれがないか、でも一方で同僚や上司は「どうやったら倉庫・国内の人間が貨物を受け取りやすいか」「どうしたら業者にわかりやすく伝わるか」を優先して考えているらしいのです。
結局どっちも大事だよね
これって何が良い、悪いではなく全部必要なこと、お互いに強く意識している部分が違うだけ。だから、きっと、ぶつかったときとか、うまくいかないときには「そのひとが何を大切にしているか」を見ると、わりと、本質が、真理が見えたりするのかなと最近おもうのです。
列車もそうだったように、割とおきていることと、そのひとに見えているものは、違うのかと。
結局なにがいいたいかって
人の分だけ意見があるわけで、一概に良い、悪いではなくて、よくよくよく聞いてみると、「なるほど、そういうことか」とひらけることがあるのかも、と年を重ねておもうようになりました。
そしてそれは仕事をする上で潤滑油になるのかも。固定概念でこりかたまるのではなくて、自分の意見をヤイバのように突き刺すのではなくて、守ろうと硬い盾をつくるのでもなくて。ただ柔軟なひとになりたいなあというお話しでした。
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