Amazon primeで脅威のレビュー(星4.6)を獲得したアニメ、「この世界の片隅に」をご存知でしょうか。この作品のなによりの魅力は、当時の人々は不幸一色だったわけでなく、彩りある日々を生きていたことが体感できることです。
(画像はAmazon primeより引用)
主人公のすずも、周りのひとも、大切なひとたちを愛し、慈しみときに喧嘩もするけれど、小さなことにしみじみ幸せを感じながら皆日々を過ごしていく。たくさんの魅力が詰まったこの作品に今日は迫っていきたいとおもいます。
「この世界の片隅に」アニメ版のあらすじ
そこにあったのは、人々のなんでもない営み
太平洋戦争中の1943年12月、18歳の浦野すずが見初められ嫁いだのは広島呉にある北條家。そこですずの新しい生活がはじまるわけですが、傍目には不器用で、いつもぼんやりしているように見えるすずは失敗を繰り広げては、小姑に小言を言われる毎日を過ごします。
戦時下でありとあらゆるものが不足し、配給もとぼしくなる一方、すずは持ち前のユーモアと生活の知恵で、食料にとぼしい日々を乗り切り、次第に北條家やその近所の人々に受け入れられていくのです。
空襲が悪化しても、なお続く生活
やがて日本の戦況が劣勢になり、軍港の街である呉は1945年3月19日を境に、頻繁に空襲を受けるようになります。それでも明るく過ごそうとするすずですが、通常爆弾に混ぜて投下されていた時限爆弾の爆発により、目の前で晴美(可愛がっていた姪)を亡くし、自らも負傷により右手を失ってしまいます。
意識が戻ったすずは、晴美を守れなかったことを小姑に責められ、自ら泣き崩れます。右手を失い絵が描けなくなる、左手で書いた絵のように日常が感性が歪んでいく。すずは人の死が日常となったこの世界に順応しつつある自分こそが歪んでいるのだという思いを抱くようになります。
そして迎えた終戦にすずは
同年7月の空襲ではすずの住む街は焼け野原となり、郊外にある北條家にも焼夷弾が落下します。すずの家族は空襲だらけの呉を心配し広島の実家に帰ってくるように誘いますが、すずは煮え切りません。そして、帰りの汽車に乗る予定であった当日の8月6日の朝、すずは小姑・径子と和解して北條家に残ることを決意するのです。
結果としてすずは、その日に広島市へと投下された原子爆弾による被爆を免れました。8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは、「一億玉砕の覚悟とは何だったのか」と怒って家を飛び出します。それまで正義の戦争と信じていたものの正体が、ただの暴力に過ぎなかったことに思い至ったすずは、「何も知らないまま死にたかった」と泣き崩れるのです。
アニメの結末(ネタバレ注意)
両親・兄・姪、たくさんのひとの死を目撃したすず。でも思い出すと、みんな笑顔だった。たくさん笑っていた。だから彼らを思い出すときは笑顔で思いだしてあげよう。自分が「この世界でもう会えない人たちの記憶(笑顔)の器」として在り続けるという決意をします。
廃墟のようになった広島市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた旦那・周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻るのです。空襲に怯える必要がなくなった呉の夜には街の灯りが戻っていました。
アニメの感想と、見どころ
深く悩まず現実を受けとめ、自分自身を愛し、周りの人々も愛して生きること。戦前生まれ世代の女性は「父に従い夫に従い老いては子に従い」抗えず生きていたのだと思うのですが、すずちゃんも例外ではなく。特に知りもしない男性の家に嫁ぐよう言われ、祝言をあげた日から他人の家に住み込み、初夜明け暗いうちから起床し、嫁として家事を切り盛りし、出戻りの小姑からイジメを受け…と一見切なく思えるのですが、
すずさんは悲哀を感じさせることなく小さな幸せを見つけながら、新境地で生活していきます。抗うことも、争うこともなく、ただのほほんと。野の花に、空の青に風に、夫のやさしさに、目の前にあるものに気づきながら、ささやかに生きている。この映画を見ると、心がほっこりするのです。穏やかに、風に吹かれても折れない立派な木のように生きていくことが幸せへの近道なのかもしれません。
あとがきにかえて
やはり幸せか否かは、「何を持つかではなく、自分がどう思うかに起因している」のでしょう。他人と比較することもなく、あるものを見て、毎日のささやかな幸せに気づけるすずさん。ないものねだりで心を揉む毎日につかれたら、ご覧になってみてはいかがでしょうか。Amazon Primeに登録している方は、いまなら無料で視聴できるようです。(https://www.amazon.co.jp/gp/product/B06ZY5KF34)
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